正直読書

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「夏のレプリカ」の杜萌ちゃんについて思うところ

夏のレプリカ (講談社文庫)

夏のレプリカ (講談社文庫)

  • 作者:森 博嗣
  • 発売日: 2000/11/15
  • メディア: 文庫

S&Mシリーズのなかでも唯一無二の存在感を放つ杜萌ちゃん。
そんな彼女について思うところを語っていく。

「ままならなさ」に支配される杜萌ちゃん

夏のレプリカ」は、萌絵ちゃんと別れた後、タクシーで帰宅する杜萌ちゃんの独白で始まる。
彼女はどうやら、あまり良くない恋愛をしているようだ。
男を「恋人」と呼ぶことに抵抗を感じているし、明るい未来を予感できるものではなかった。

あるのは、ただただ卑近に濁った執着、そして色褪せた公開の繰り返しばかり。だが、その執着も後悔も、何もないよりはましだ。


この2文から漂う、どうしようもない倦怠感と諦観。
萌絵ちゃんの犀川先生に対する、「好き好き大好き超愛してる」とは全く違う、妙な生々しさがある。


どうしようもない恋愛に足を取られている間も、自分をじっと観察できる冷静さと頭脳があるのに、欲望を断ち切ることができない。

この「ままならなさ」が杜萌ちゃんを終始支配し、突き動かしていく。

事件の犯人像について

誘拐・殺人事件の真相には、杜萌ちゃんが大いに関わっている。


彼女の動機は「勝つこと」。
この勝負に勝つことは、奈落の底に落ちていくのと同じようなもので、事件を経て勝利を手に入れた杜萌ちゃんは、萌絵ちゃん達の手の届かない場所へ行ってしまうことになる。


これまでの犯人は、意図がはっきりしていて、大事なものを守るだとか、何か信念を持って動いていた。
すべてがFになる」から始まり、「笑わない数学者」や「封印再度」など、私のような常人には理解のできないものばかりだったのだが…


杜萌ちゃんの行動はあまりにも卑近で、悲しいものだった。


萌絵ちゃんの同級生のなかでは最も彼女に近い頭脳の持ち主である杜萌ちゃん。
彼女の素晴らしい頭脳は、ありきたりでつまらない理由のために使われた。
本人もその虚しさを自覚しているところがさらに悲しい。


ラストシーンで感じる無力感は、複雑な事件と、杜萌ちゃんの動機とのギャップからくるものだ。

杜萌ちゃんが捨てたもの

杜萌ちゃんが萌絵ちゃんとのチェスで勝てなかったのは、「僅かな執着」があるからだという。
それなら、事件を経て萌絵ちゃんとのチェスに勝利した杜萌ちゃんは、何を捨てたのか。


おそらく、全て。
家族も、友人も、研究も、思い出も、未来も。


杜萌ちゃんは、恋人と一緒にいることを選んだけれども、きっとこの関係は永遠ではない。
あっけなく終わってしまうことを、彼女はどこかで予感しているに違いない。


それでも、私は杜萌ちゃんに少しだけ期待している。
一緒に捨てたものの中に、「諦観」が入っていますように。


全てを擲って飛び出していったその先、待っているものが、絶望だけではありませんように。


そんなことを思わずにはいられない、素敵なキャラクターなのです。以上。