正直読書

本のこと、日常のこと。司書の勉強中。

お題「#この1年の変化」

お題「#この1年の変化」

まさに激動の1年だった。
私に起きたことを箇条書きにしてみると、こんな感じになる。

・3年間に及ぶパワハラに心が折れ、休職する
抑うつ状態と診断される
・自宅療養
・固まってしまった頭を動かすために、読書感想文を書き続ける
・休職期間を経て、職場復帰
・人事異動により図書館へ配属される
・司書の勉強を始める
・この3年間、横で見守ってきてくれた恋人と同棲を始める


しなくてもいい苦労をして、得たものは沢山ある。でも、良いものだけではない。
例えば、職場復帰を果たした今でも続く体調不良や、時折襲ってくる不安感。


それに、何となく初対面の人を穿った目で見るようになった。
この人は私に危害を加える人ではないだろうか、私のことをどう思うだろう、何を考えているのだろう。
少しだけ、対人関係を築くことに慎重になってしまった。


もう一つの変化を挙げるとすれば、「幸せの尺度が身の丈にあったものになった」ということだろうか。
身の回りにある「当たり前」を、ちゃんと大切にできるようになった。


お弁当に隙間なくおかずが詰められたこと。
観葉植物が元気に育っていること。
恋人との何気ない会話。
母親からの「次はいつ帰ってくるの?」という催促。
洗濯したてのタオルの匂い。
仕事があること。


学生時代の私が今の私を見ることができたなら、あまりの凡庸さに失望させてしまうかもしれない。


都内のある私大に通っていた私は、「私はきっと幸せな人生を歩める」という漠然とした自負があった。
「良い生活がしたいね」、「大人になっても楽しく暮らしたいね」、そんなことばかり話していた。
都会のきらびやかさに魅せられて、若くて無知だったあの頃。


そんな私に待っていた社会人生活は、胸いっぱいの希望を完全に打ち砕くものだった。
あんなに頑張って勉強したのに。周りは楽しそうにしているのに。
「こんなはずじゃなかった」という言葉ばかりが頭の中をグルグル回って、パワハラを受けている自分が情けなくなり、肯定できなくなった。
抱いた希望を捨てることができず、「幸せな人生を歩む私」と、実際の自分とのギャップに潰されてしまったのだ。


色んなことを経て、今この場所に戻ってきた。
あの頃に話した「良い生活」ではないけれど、今はとても幸せだ。
楽しいことばかりではないけれど、人生ってそんなものだと思えるようになった。


パワハラ環境を抜け出したこと、人間関係に少し臆病になってしまったこと、そして過去の自分との決別ができたこと。
これらが「#この1年の変化」である。