正直読書

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彼女はきっと柔らかい棘「ハリネズミは空を見上げる」

ハリネズミは月を見上げる

ハリネズミは月を見上げる

主人公の御倉鈴美はおっとりしていて、気の弱い女子校生。
咄嗟に気の利いた行動ができる訳ではないけれど、気が優しい。
何とか「天然ちゃん」のキャラクターを獲得し、グループの中に居場所を作った彼女だが、一瞬でこの関係が崩れてしまうのではないかという気持ちを常に持っている。



確実にいる。というか、いた。



いつ話しかけても穏やかな口調で返してくれて、みんなの輪の中で静かに笑っている子。
話を振ると一生懸命な顔をして、そうして出てきた言葉がちょっと面白い。言い回しが独特だったり、タイミングがズレていたり。
人を貶めるような発言は絶対にしないし、悪い話題には曖昧に微笑むだけ。


でも思い返せば、みんなでいても不安そうだった。
その子が輪の中心にはならないからだ。

みんなはきらきらしたものが好きだ。
強く輝いて、生き生きとして、美しいものが好きだ。
・・・
美しく見えるために。
陽気で明るく、楽し気に見えるために。
軽やかに、個性的に見えるために。
でも、決して異端には見えないように。
細心の気を配り、心を砕く。


本文中のこの表現は、本当にしっくりくる。
女子高生は、というか私が女子高生だった頃は、こういうものに憧れを抱いていた。


新発売のお菓子。安いけど可愛いメイク用品。
靴下の長さ。無印良品のペン(当時はめちゃくちゃ集めてた)。
誰と誰がくっついて、別れて、片思いをしているのか。


話題は目まぐるしく変化して、常に何か新しいものを求めていた。
話題の中心になる人には自然とみんなの目が集まるし、一緒にいて楽しい。
そんな高校生活だった。


御倉鈴美に似たあの友人は、こういう「流れ」には、なかなか乗れていなかった。
彼女を仲間はずれにするつもりも、見限ったわけでも決してなかったが、話していて楽しいのは「流れ」が分かる子だった。


高校を卒業してもう何年になるのか、数えたくもないが、『ハリネズミは空を見上げる』を読んで、彼女を思い出した。


卒業以来、一度も会っていない彼女。
進学先が違ったから、ではない。
私はきっとどこかで負い目を感じているのだ。


「流れ」ばかりに気を取られ、不安そうな表情をそのままにしたこと。
その表情の意味に気づいていたのに、知らないふりをしたこと。


全ての友人と深く付き合うなんてことはできない。
楽しいと感じた方へ流れた、それだけのこと。


でもきっと、彼女を思い出して、こんなに長文の言い訳を書いているのは、私と彼女の本質が大差ないからだ。
その証拠に、御倉鈴美の気持ちが、とてもよく理解できる。
あのひとときは永遠のようにも、何か一つ間違えたら崩れてしまう、そんな刹那的なものにも感じられたものだ。
あの友人はきっと、これからも、柔らかく透明な棘のように思い出の中に居続けるだろう。



というか、夫や夫の家族に気を遣いながら、良い母親・妻であろうとした御倉鈴美の母親に親近感を覚えた私は、着実に大人になっているのだなあ。