読めば読むほど引き込まれる「その道の先に消える」
不思議な本だ。
読み始めて、「あ、コレは駄目だわ」と思った。
好意を寄せる女性が犯罪に巻き込まれて、刑事の「富樫」が証拠を改竄してまで彼女を救おうとする話。
ドラマや映画なんかでも、私はこういう展開が苦手だ。
因果応報とでも言うのか、「絶対この人痛い目合うじゃん・・・」という嫌な予感。
でも、少し読み進めて、これは違う物語だと気づいた。
次に感じたのが、少しの嫌悪感と戸惑い。
悪趣味(と、この際だから言ってしまう)な性行為。
最中の会話なんて活字で目にするもんじゃないなあ、なんて思いながら、それでも展開から目を離すことができない。
そして徐々に明らかになる事件の真相と、中心人物の思想。
右翼的な発想と、半端な神道趣味。
薄弱な思想の拠り所に対して、大それた妄想に少しばかり苦笑してしまう。
多くのページを割いて彼の思想を明らかにしたところで、この作者は何が言いたいのか、全くわからなかった。
そんな感じで読み終えた後に印象に残ったのは、嫌というほど浴びせられたSM趣味の数々だった。
私はエロ小説を読んでいたのか・・・?
短いあとがきには、「そういう小説を・・・ずっと書いてみたかった」「この小説もまた、僕にとって特別なものになりました」「全ての人生が尊い」こんな言葉が並んでいた。
本当にこの小説のあとがきなのか?と目を疑った。
中村文則はSM小説をずっと書いてみたかったのか?
何度か読み返して、この小説がただのSM小説ではないことが朧げながらわかってきた。
それでも、全て理解できてはいない。
富樫と同じく、「半分わかった」ような状態だろうか。
この小説で中村文則は、「人生はそれでも続いていく」というようなことを大切にしているようだ。
一連の事件は凄惨そのもので、これに関わっている人物みな、不幸な体験をしている。
それでも、彼らは生きている。
この小説で一番好きな場面が、事件の手掛かりとなる「もの」を地面から掘り出すシーンなのだが、事件を追う刑事の葉山と謎の女性「山本」の掛け合いが面白い。
「……お前、掘れ」
「嫌ですよ。自分でやってください」
「……スーツが汚れるだろ。時計も。高いんだ」
「信じられない。怖いです。自分で……」
「土に細菌でもいたらどうする?嫌だろ」
「は? それは私も同じなんですけど」
お互いの暗い過去を明かしあった翌日の会話。
小説全体を通して、明るいシーンや笑える会話は皆無といっていいが、唯一心が少し軽くなった場面である。
事件が核心に近付くにつれて、彼らも危機に瀕している。
それでも生きようとしている。
過去への態度はみな様々だ。
過去を無かったことにする者もいれば、捨てきれない者もいる。
過去や自分の過ち、業というべきものに囚われて、前に進むことのできなくなった人間が「Y」であり、他の「生きている」キャラクターと対をなす存在なのだろう。
「バグ」という言葉がそれを示唆しているのかもしれない。
今のところは、ここまで。
もう少し中村文学に触れて、彼の文脈を辿ってみたい。