正直読書

本のこと、日常のこと。司書の勉強中。

定義すれば、存在する「笑わない数学者 MATHEMATICAL GOODBYE」

笑わない数学者 MATHEMATICAL GOODBYE (講談社文庫)

笑わない数学者 MATHEMATICAL GOODBYE (講談社文庫)

  • 作者:森 博嗣
  • 発売日: 1999/07/15
  • メディア: 文庫

いやぁ〜、面白かった!
ミステリーに館はつきものだけど、これはその中でも特にお気に入りだ。


萌絵ちゃんと犀川先生が招待された「三ツ星館」に隠された謎、地下に住む数学者、相続争いで火花を散らす華麗な一族(性根が腐っている奴がちゃんといる!私的高評価!)、数年前の謎の事故、ご落胤の存在。


そのまま横溝正史の作品にも使えそうなほど、分かりやすくドロドロな設定。
人間のエゴや欲望が全面に出ていて、森博嗣っぽくないと思うじゃん…?
そして、あまりにも突飛な謎解きに感心しつつ、ちょっと腑抜けるような気持ちになるじゃん…?


最後まで読むと、これまで前提としていたものが、音を立てて崩れていく。
何度も何度も犀川先生と「彼」の会話を読み返す。
読めば読むほど、何が存在するのか、あるいは何が存在しないのか、その境目が溶けていくような不安な気持ちになってくる。最高である。

「定義すれば、存在する」


その逆をいえば、「定義しなければ、存在しない」。
ふ、深い…。この言葉一つで、何もかも前提を覆すことができるんだもんね。
本当に「彼」は地下に来たの?あの子の父親は誰?そして「彼ら」はどうなったの?
この「彼ら」も、一人なのか、二人なのか、そもそも存在しないのか。
分からない…。


ここで冒頭に戻って、意味深な引用文を改めて読み直してみる。
ちなみに「数学的経験(The Mathematical Experience)」(P.J.デービス・R.ヘルシュ著、森北出版)という、私には圧倒的に縁のない書籍からだ。

私は人々が宗教的信仰を欲するような具合に確実性を欲した。…数学的世界を乗せる象を作りあげると、私はその象がよろめくのを見いだし、その象が倒れないように保つ亀を作ることに取りかかった。しかし、その亀も象と同じく安定ではなかった。


今作で森博嗣はこういうものを書きたかったんだろうなあ、としみじみ思う。


真相は何も分からない。
だって、示された定義が、「私」によって作られた象や亀のように不安定なのだから。



私の考えをすこしだけ。

・本当の昇くんの父親は、博士ではなく、宗太郎。
・昇くんは博士に陶酔しており、博士のコントロール下にある。(宗太郎が父親だと知っているかは…どっちとも読める。)
・君枝は宗太郎との密通を秘密にしてもらう代わりに、昇くんが博士との子だと周りに信じさせた。また、博士のコントロール下に入らざるを得なくなった。
・律子と俊一が天王寺家にふさわしくないと考えたのは博士で、昇くんはそれに従った。
・宗太郎と基生は博士の人形。彼らの創作物は博士が生んだもの。
(博士は妹となんかあったのかな…?)
・博士にとってはすべてが自分の操り人形で、自分の「自由」を表現するために彼らを使った。



うーん、これくらいしか考えられなかった。
それは置いておいて、ちょっとジャンルが違うかもしれないけど、はやみねかおるの「機巧館のかぞえ唄」を思い出す結末。


不気味な館に残ったのは、老人1人とな…。
うんうん、こういう後味の悪い作品大好きだよ…!
今回は、読む人間が何を信じて、何を捨てるかというのがポイントだったような気がするな。


それと、今作からSMシリーズが読みやすくなったと感じた。
作品の中で会話の比率が高かったからかな。
ここからどんどんSMシリーズが面白くなるんだよなあ〜…