正直読書

本のこと、日常のこと。司書の勉強中。

言葉の羅列から浮かび上がるもの 「好き好き大好き超愛してる。」

初・舞城王太郎
言葉の羅列・羅列・羅列で圧倒されるが、
目が滑ることがないのが舞城王太郎の凄いところなんだろう。


何だろう、謎の圧迫感がある。
「俺の文章を読め!」と目の前で何百枚もの原稿用紙を叩きつけられたような、
頭の中に直接文章を送り込んでくるタイプの超能力を使われているかのような(?)


とにかく、相手の意思に関係なく読ませるような、鬼気迫るものを感じる。



本書は短編集になっていて、そのほとんどが死と隣り合わせのダークな世界観である。


愛する人間が居なくなったという状況に対して、非常にリアルな喪失感や混乱が描かれており、胸が締め付けられる。
それは決して綺麗なものではなく、不格好で、後悔に満ちたものばかりだ。
その不合理さは、実験的とも言えるほど。


苦悩が深ければ深いほど、心に残るのは意外と単純な言葉だったりする。

病気のまんまでもいい、辛い思いが続いてもいい、痛くて苦しんで泣いたり喚いたりひどい有り様でも何でもいいから、そんなの我慢して生き続けてほしいと、自分勝手なことを頼みたかったんだ。

「居なくならないで」と、そんな簡単な言葉を発せなかったのは、苦しんでいる恋人のことを思ってのこと。

でも、そんな我慢が何になるんだろう?
そう気づいたのは恋人が居なくなった後で、もう思いを伝えられる相手はいない。
喪失感を抱えながら、残された者はどう生きていくのだろうか。



何となく気になったこと。
登場人物たちの多くが、意思疎通の手段として言葉に頼りすぎているように感じた。
これは敢えてなのか、そうでないのか分からないけど。


目線とか、表情とか、スキンシップとか、言葉以外のものでも気持ちを伝えることができるのに、
好き好き大好き超愛してる。」の愛情表現は言葉ばっかりだ。
そっと抱きしめるだけで、優しく微笑むだけで感情が伝わりそうなのに。


溢れ出す思いとは裏腹に、的確な言葉を掛けることのできないもどかしさ。

言葉にまみれた本書から浮かび上がるのは、そんな言葉の「ままならなさ」だったりして。