正直読書

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萌絵ちゃんが成長してる!森博嗣も成長してる!「詩的私的ジャック JACK THE POETICAL PRIVATE」

詩的私的ジャック (講談社文庫)

詩的私的ジャック (講談社文庫)

  • 作者:森 博嗣
  • 発売日: 1999/11/12
  • メディア: 文庫

すべてがFになる」ではピカピカの大学1年生だった萌絵ちゃんが、今作では徹夜で課題に取り組む3年生に。
中国出張中の犀川先生にかわり、途中まで萌絵ちゃん1人で事件に挑む。
これまでは犀川先生主観のストーリー展開が多かったので、萌絵ちゃん主観が何だか新鮮だ。
読んでいて驚くのが、彼女の成長ぶりである。

萌絵は大人しくシートに座っていた。こういうときは出しゃばった言動は控えた方が効果的だと思ったのである。

自力で謎を解き、警察に報告したときの萌絵ちゃん。
これまでだったら憎まれ口を叩いたりしそうなものだけど、大人としての自覚が出てきたのね…。


そして、犀川先生が夜大学に残っていることに気付き、連絡を取ろうとする萌絵ちゃん。
いつもだったらいきなり電話をかけそうなところだけど、「仕事の邪魔になるかもしれないので」メールで済ませる。
こういうちょっとした心遣いに成長を感じる。



今回は、萌絵ちゃんの同級生が登場する。
卒業したら歳上の彼と一緒になるという洋子ちゃんは、男勝りなサバサバ系。
そして萌絵ちゃんの良き理解者だ。
彼女は、萌絵ちゃんのことをこんな風に評している。

最初に会った時の彼女は、信じられないくらい世間知らずで、ケースから出したばかりのお人形のようだった。…ところが、洋子の中では今は違う。周りのみんなは気が付いていないかもしれないが、西之園萌絵は、見かけとはずいぶん違うのだ。

さすが親友。よく分かってらっしゃる。
犀川先生までもが「大人になった」と評したように、萌絵ちゃんの人格が明らかに変わっている。
時が止まったままの、ただの学園ミステリーではない。
彼女たちは着実に前に、未来に向かって歩んでいるのだ。



萌絵ちゃんと犀川先生の仲も少しずつ前進している。


犀川先先生の出張中に、彼が他大学からオファーを受けていたことを知った萌絵ちゃん。
考えてみれば、犀川先生が何を研究しているのか、学界でどんな評価がされているのか、全く知らない。

恋愛ものでよくある、「あんなに一緒にいる彼のこと、私、全然知らなかったんだ…」である。


でも、森博嗣にかかればこのとおり。

理解することへの畏怖、そして、理解したときの戦慄。
それは、人間の思考の中に元来存在する太古からの驚きの感情であって、本能的に恐れ、本能的に求める欲望から生まれるものだ。

こんなに重厚な文章を、恋愛パートに組み込むなんて……
恐ろしい人だ、まったく。



前作「笑わない数学者」でも感じたことだけど、森博嗣の文章がどんどん読みやすく、しかも技巧的になっている気がする。

たとえば、萌絵ちゃんの外見について。
犀川先生の部屋を訪れた萌絵ちゃん。その時の様子をこう表現している。

萌絵は、タンクトップに短いチョッキを着て、サングラスを頭の上にのせている。アイシャドーが目立つ化粧だった。

よく読むと、萌絵ちゃんの上半身しか言及されていない。
それからしばらく経ってから、下半身の服装が判明する。

萌絵は脚を組んだ。ジーンズにスニーカーだった。

萌絵ちゃんが部屋に入った時、犀川先生はひと仕事終えて洋雑誌を読んでいた。
恐らく椅子に腰掛けていたのだろう。
だから、萌絵ちゃんの上半身しか見えなかった。

それから萌絵ちゃんが椅子に座り、しばらく会話し、脚を組んだときに初めて着用しているものに目が行ったのだ。


これまでも萌絵ちゃんの服装については細かく描写されていたが、(服装が毎回派手、というか奇抜というか…そういう点は問題にしない)犀川先生がどのように萌絵ちゃんを見ているのか、視線の先を追うことができる。


さらっと書いてるけど、とってもテクニカル。
森博嗣(工学博士)は文学おばけなのか?

いくつになっても、赤い夢の住人になれる。「怪盗クイーンはサーカスがお好き」

はやみねかおる先生の怪盗クイーンシリーズ第一作目。
面白い…。青い鳥文庫からしか刊行されていないのが不思議…。


怪盗クイーンとは、誰よりも強く、美しく、そして怠け者という、最高にイカした怪盗である。
ちなみに性別も年齢も不明。

溢れるような銀髪に、微かに灰色がかった瞳、はっとするような白い肌、神の美しさと呼ばれる顔面。
そして最強の刺客もアッサリと倒してしまうという、規格外の強さも魅力だ。


今作は、世界トップクラスの特殊技能を持ったサーカス団との戦いが繰り広げられるが、全ての技能においてクイーンが上回るというミラクルな現象が起こる。


ちなみに二作目でも最強の暗殺者集団と戦うが、ここでもクイーンがストレート勝ちを収める。



捻くれてしまっている人は、主人公があまりにも強いと萎えてしまうこともあると思う。
私はそういう人間だ。


でも、クイーンだけは違うんだ。
あまり見たことはないけど、アメコミを見ている感覚に近いのかもしれない。


Fooooooo!!!!!!最高にcoolだぜ!!!!!!!
クイーン!あんたは最高だ!おい、お前もそう思うよな!


そして会場中に響き渡るwe are the champion―――








どんなに強い敵が出てきても、きっとクイーンは大丈夫。
そうやって、子どものように、純粋に信じることができる。
クイーンに陶酔し、物語に没頭することができる時間。これを幸せというのだろう。



登場人物の話に戻ろう。
クイーンが素晴らしいのは先に述べた通りだが、相棒のジョーカーとRDも良い。
破天荒なクイーンのストッパーを自負しているが、彼らは彼らで一般人とはかけ離れた存在だ。
時折みせる天然ボケや、シリアスな過去を想起させるシーンも相まって、非常にチャーミングな存在である。


それに、クイーンと戦うことになるサーカス団や、クイーン逮捕を掲げる警察官、事件を追う新聞記者などなど、「敵なのになんか素敵!」なキャラクターしかいない。


そんな感じで、大人も魅力してしまうほど懐が深いのが本シリーズである。


はやみねかおる先生は、作品の世界観を表す言葉として、「赤い夢」というワードを使う。
赤い夢に魅了される者は、すべてその住民だ。


怪盗クイーンシリーズを再読したのは最近で、10年以上のブランクがあったのだが、そんなものは消えてなくなっていた。


大人になっても、赤い夢に戻れるんだ―――。
私はずっと、ここの住人だったんだ―――。


ありがとう、クイーン。
ありがとう、はやみねかおる先生。


これからも末永く。

定義すれば、存在する「笑わない数学者 MATHEMATICAL GOODBYE」

笑わない数学者 MATHEMATICAL GOODBYE (講談社文庫)

笑わない数学者 MATHEMATICAL GOODBYE (講談社文庫)

  • 作者:森 博嗣
  • 発売日: 1999/07/15
  • メディア: 文庫

いやぁ〜、面白かった!
ミステリーに館はつきものだけど、これはその中でも特にお気に入りだ。


萌絵ちゃんと犀川先生が招待された「三ツ星館」に隠された謎、地下に住む数学者、相続争いで火花を散らす華麗な一族(性根が腐っている奴がちゃんといる!私的高評価!)、数年前の謎の事故、ご落胤の存在。


そのまま横溝正史の作品にも使えそうなほど、分かりやすくドロドロな設定。
人間のエゴや欲望が全面に出ていて、森博嗣っぽくないと思うじゃん…?
そして、あまりにも突飛な謎解きに感心しつつ、ちょっと腑抜けるような気持ちになるじゃん…?


最後まで読むと、これまで前提としていたものが、音を立てて崩れていく。
何度も何度も犀川先生と「彼」の会話を読み返す。
読めば読むほど、何が存在するのか、あるいは何が存在しないのか、その境目が溶けていくような不安な気持ちになってくる。最高である。

「定義すれば、存在する」


その逆をいえば、「定義しなければ、存在しない」。
ふ、深い…。この言葉一つで、何もかも前提を覆すことができるんだもんね。
本当に「彼」は地下に来たの?あの子の父親は誰?そして「彼ら」はどうなったの?
この「彼ら」も、一人なのか、二人なのか、そもそも存在しないのか。
分からない…。


ここで冒頭に戻って、意味深な引用文を改めて読み直してみる。
ちなみに「数学的経験(The Mathematical Experience)」(P.J.デービス・R.ヘルシュ著、森北出版)という、私には圧倒的に縁のない書籍からだ。

私は人々が宗教的信仰を欲するような具合に確実性を欲した。…数学的世界を乗せる象を作りあげると、私はその象がよろめくのを見いだし、その象が倒れないように保つ亀を作ることに取りかかった。しかし、その亀も象と同じく安定ではなかった。


今作で森博嗣はこういうものを書きたかったんだろうなあ、としみじみ思う。


真相は何も分からない。
だって、示された定義が、「私」によって作られた象や亀のように不安定なのだから。



私の考えをすこしだけ。

・本当の昇くんの父親は、博士ではなく、宗太郎。
・昇くんは博士に陶酔しており、博士のコントロール下にある。(宗太郎が父親だと知っているかは…どっちとも読める。)
・君枝は宗太郎との密通を秘密にしてもらう代わりに、昇くんが博士との子だと周りに信じさせた。また、博士のコントロール下に入らざるを得なくなった。
・律子と俊一が天王寺家にふさわしくないと考えたのは博士で、昇くんはそれに従った。
・宗太郎と基生は博士の人形。彼らの創作物は博士が生んだもの。
(博士は妹となんかあったのかな…?)
・博士にとってはすべてが自分の操り人形で、自分の「自由」を表現するために彼らを使った。



うーん、これくらいしか考えられなかった。
それは置いておいて、ちょっとジャンルが違うかもしれないけど、はやみねかおるの「機巧館のかぞえ唄」を思い出す結末。


不気味な館に残ったのは、老人1人とな…。
うんうん、こういう後味の悪い作品大好きだよ…!
今回は、読む人間が何を信じて、何を捨てるかというのがポイントだったような気がするな。


それと、今作からSMシリーズが読みやすくなったと感じた。
作品の中で会話の比率が高かったからかな。
ここからどんどんSMシリーズが面白くなるんだよなあ〜…