正直読書

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混乱を乗り越えて奏でる「ハーモニー」とは何か

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

「何か」というタイトルにしておきながら、それに対する答えは特に用意していません。

前作「虐殺器官」に引き続き、SF超大作である本作を紹介したいと思います。

がっつりネタバレしてますのでご注意下さい。


私がリアルな知人に伊藤計劃をおすすめするとしたら、まず本作から渡します。

世界観にどっぷりハマり、尚且グロ耐性があるようだったら「虐殺器官」も渡しますね。

どちらも独立した物語なので、どちらから読んでも大丈夫ですが、両方読まなければなりません。

ちなみに、最後の蛇足は本当に蛇足です。


ざっくりとしたあらすじ(ネタバレあり)

***ここはネタバレありません***
・前作「虐殺器官」の後、世界中で暴動が起こり、核爆弾が落ちまくり、先進国が軒並み滅びる。
・なんとか生き残った人間が世界を立て直す。時代は21世紀後半。
・人口が極端に少なくなり、1人1人を大事にしようという方向性で立て直しを図った結果、医療福祉社会を推し進めた社会が築かれる。
高度な医療技術により、病気はほぼ放逐される。人類は皆健康そのもの。肥満や痩せ過ぎにもならない。
優しすぎる社会に疲弊した人々が一定数いて、特に若者の自殺率は年々増加傾向にある。


*****ここからネタバレ*****
「この完璧な社会に適応できないのは、人間の意思が邪魔しているからなんじゃないか?」という過激派が出現。
→周囲がお節介すぎる、自由に生きたい、というような気持ちに端を発する「生き辛さ」は、
人間の欲求=意思が生み出すものであり、この世界にはそぐわない。不要であるという考え方。
結果的に世界中の人間から「意思」が喪失し、人々は完璧な調和の取れた社会生活を送るようになった。

「理屈人間」が作ったSF

本書を読まずにあらすじだけ見ても意味不明だと思いますが、結果的に人間から意思が喪失します。(めちゃくちゃ怖い)

意思がない状態でも、人々はこれまで通りに生活を営むことができます。
仕事をしたり、映画を見たり、また笑ったり泣いたりすることも出来ます。
しかし、これは意思を介さない動作。ロボットが人間の表情を真似ているのと変わりません。


ただし、このラストは突拍子もないものではないんですね。

緻密なストーリー、幾多もの伏線、重厚な人間ドラマによって生み出された納得のいくラスト
なのです。

文庫本には佐々木敦氏の解説が載っていて、伊藤計劃が自分自身を「理屈人間」と呼んでいたとあり、「確かに!」と思いました。

人間ドラマが面白いので理詰めという感じはしませんが、世界観や登場人物の価値観がどのようにして生まれたのかというのが理屈として分かるようになっています。


緻密なSFということで、テーマは全く違いますが、佐藤究のこちらの作品が似ているなあと思ったのです。
oinusamausagisama.hatenablog.com


ちなみに理屈は分かるけど共感は出来ません。

これについては次で触れたいと思います。

唯一無二の読後感

本作は、人間から意思がなくなったことをハッピーエンドとしていました。

しかし、読者としては、もちろんハッピーではありません。怖すぎる。


え、これハッピーエンド?本当?自我って何?幸せって何?人間って何?人間死んだらどうなるの?

こういう問いで頭いっぱいになります。夜に読むと特に。


また本作の独特な文体の謎が最後に解けるのですが、それが分かるとまた薄気味悪い。

この読後感はぜひ味わってほしいなあと思います。

私はなぜディストピア文学に惹かれるのか?

大げさなタイトルになってしまいました。

端的に言うと、「怖いもの見たさ」です。

フィクションとして楽しみたいというのが一番ですが、リアルの世界に対しておぼろげな危機感を抱いていることも挙げておきます。


世界情勢に疎い私でさえ、何かおかしくなってきているという実感があるのです。

気候変動も、政治も、人々の優しさも。

「何かがおかしい」という曖昧な私の気持ちを正確に表現した一文があるので、引用します。

定められた目標が極端で融通が聞かないほど、弱い人間はそれを守りやすい。

とても鮮明なメッセージだと思います。これに尽きる。

「行き過ぎている」ほど、分かりやすいんです。「程々に」が難しい。


世界がどこへ向かっているのか、見守りながら。でも現実に直面するのは苦しいから。

こうした「行き過ぎた」世界を見て楽しみ、現実逃避を試みているのです。


ああ〜今回もバッドエンドだったなあ。こんな世界嫌だなあ。見ている分には面白いけど。

と享楽に耽りながら、

私の世界もいつかこうなるのかな…?

という不安との間でフワフワしているのが楽しいのです。

我ながら頼りない。

蛇足:登場人物の名前について、など。

自分が小説を書こうとしたとき、登場人物の名前って結構大事にしますよね。

ミステリーだとしたら、縦書きにしたときに左右対称になる人物が重要になる、とか

例えば「山田 由香」みたいな感じですね

日常系だとしたら、いかに愛着の持てるものにするか、とか。

こうやって妄想しても、小説として完成させたものは1つもありません。


伊藤計劃は何をもって「霧慧トァン」「御冷ミァハ」「零下堂キアン」という3人の少女を生み出したのだろう。気になる。

「れいかどう きあん」という音はとても綺麗ですけどね。


全員日本国籍なので、姓名の仕組みが保たれていることは分かります。

名字は現代と同じく漢字。そして名はカタカナという文化になったようです。

3人以外の日本国籍をもった登場人物も、この形式をとっていました。


「ミァハ」って、どう読むんだろうとずっと考えていました。

「ミァ」の部分は「マ」なのか、「ミャ」なのか「ミア」なのか。

ちなみに私は「ミアハ」と読んでました。

最近ハマっているNiziUにミイヒちゃんという子がいるので、そんな感じで。


あと気付いたこと。

「ハーモニー」の世界では、政府でなく、もっと小規模な共同体に人々が属しています。

その1つである「スクナビコナ医療合意共同体」のスクナビコナですが、これは古事記日本書紀風土記にも登場する「医療を司る神」です。

あとジョージ・オーウェルの「1984年」に登場する「二分間憎悪」のパロディも出てきます。


もっと知識があれば、「あ、コレも!」というのがあるかもしれませんね。


ということで、最後の蛇足まで見ていただき、ありがとうございました!