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現代版「藪の中」は気味悪さ・後味悪さが絶妙!「ユージニア」恩田陸

ユージニア (角川文庫)

ユージニア (角川文庫)

  • 作者:恩田 陸
  • 発売日: 2008/08/25
  • メディア: 文庫

この小説を読んでいて、芥川龍之介の「藪の中」を連想した方は多いのではないでしょうか。


私は文庫本を読んだのですが、本の帯に「誰が真実を話したの?」というキャッチフレーズが付けられていました。

そのため、誰かの証言が間違っている、意図的に事実でないことを話しているのではないか、という先入観を持って読み始めたのですが、

恐らく誰も嘘はついていないです。

それぞれ本当だと思っていることを話しているのに、認識自体が人によって違うのでまとまらないんですね。

まさに現代版「藪の中」


この本をジグゾーパズルに例えると、

それぞれの関係者が異なる位置のピースをいくつも持っていて、それを大きな枠の中に埋めていく作業をしているような感覚でした。

このパズルの難しいところは、完成図が大まかにしか提示されていないことと、それぞれのピースが非常に小さいということです。
また、全く離れた場所に埋めるピースだと思っていたもの同士が、意外と近い位置に収まって、一つの絵を形成していたりして・・・
一筋縄ではいかないですね。

「あれ、これってさっきどうなっていたっけ?」とか「今話していることはひょっとしてここに繋がるのか?」などなど、
色々なページを行き来してしまいました。


前置きが長くなってしまいましたが・・・

本日の見出しです。

散りばめられた「ミスマッチ」について


本作のポイントは、「ミスマッチ」であると思っています。

「町の病院を経営する一族に起きた大量毒殺事件」の犯人としてまず可能性が挙げられるのは、「病院に対して恨みを持っていた者」ですね。

誤診により家族が命を失ったり、病院の経営について不満を持っていたり、何か金銭トラブルを抱えているとか、発端になりそうな要因はいくらでも思い付きます。

しかし犯人とされたのは、一家と全く面識のない青年でした。

また、酷い殺害方法を用いたにも関わらず、一家に対して一切怨恨を抱いていない。

ここに1つ目のミスマッチが起きています。

このミスマッチにより、真犯人が他にいるのではないかという気持ちになるわけですね。


物語では早くから、青澤家の唯一の生き残りである青澤緋紗子が犯人である可能性を提示していました。

十人の人間が一つの家にいて、九人が殺されたら、犯人は誰?
推理小説じゃないわ、簡単よ、当然犯人は残りの一人でしょ。

そう。分かる。こんな体験は初めてだが、今俺は、最初に見た瞬間にあの事件の犯人が分かった。
(中略)それは、今俺の目の前にいるこの女だ。


事件に居合わせ、後に小説「忘れられた祝祭」を著した雑賀満喜子と、事件を追う刑事がここまで断言するのです。

トリックや殺害に至った経緯は明かされないまま、真犯人は青澤緋紗子であるという前提のもと、物語が進んでいきます。


関係者の証言では、青澤緋紗子がいかに特別な存在であったかが強調されています。

名家に生まれ、美しく、優しくて非の打ち所が無い。
盲目であるにも関わらず、目が見えているかのように振る舞うことができる。
大量毒殺事件の犯人でありながら、法の裁きを受けずにいる。

読者は、様々な証言から「青澤緋紗子」像を形成し、その像を大事に大事に持ち続けているわけです。


それがまさにミスマッチであることに気付かされるのは、物語終盤の第十三章「潮騒の町」でした。

この章では、自殺した雑賀満喜子の兄が残した遺書を発端に、事件を独自に調べている「私」と、青澤緋紗子が登場します。

「私」は、事件の関係者でなく、これまでの証言の聞き取りを行ったと見られる人物で、読者と同じ目線を持っています。

ここで初めて「生の」青澤緋紗子が登場します。

伝説のヒロイン。稀代の悪女。美しい少女。

満を持して登場した彼女は、こうした言葉で表現されていた人物とは思えない、卑屈な笑みを浮かべる「かぼそい中年女性」となっていました。

突然顕となったミスマッチに対して、読者は「私」と共に失望や苛立ちを感じるでしょう。

同時に、これまでの証言によって、読者は凄惨な事件に釣り合うような犯人=青澤緋紗子像を形成させられていたことに気が付きます。


青澤緋紗子の現在を知ることで、事件当時の彼女の状況を初めて客観的に見ることができます。
そして、彼女にとっての「真実」である「不幸な偶然」と向き合うわけです。


また、完璧に調和が取れていたはずの「丸窓さん」の中で起きていたミスマッチは、その中にいた青澤緋紗子から初めて明かされるものでした。

青澤家を外から眺める者が決して知り得ないこと。

内部にいたお手伝いのキミさんが終生口に出さなかったこと。

丸窓さんの中と外で起きていたミスマッチこそが、この事件の核となったのではないかと思います。

また、謎を解く上で鍵となった「さるすべり」についても、「ミスマッチ」が起きていましたね。

事件の真相について思うこと


青澤緋紗子が事件直後に語った「青い部屋と白いさるすべり」の話は、

成巽閣の群青の間のことでなく、青澤家の祈りの部屋での出来事でした。

青澤緋紗子が失明する前、母親に連れられて祈りを捧げていたことを指します。


このエピソードを語った理由は最後まで分かりませんでした。


一家に起きた凄惨な事件と、自身の中で最も辛く恐ろしい記憶が結びついたのでしょうか。

それとも青澤家からの開放を喜ぶ気持ちと共に、自分を縛り続ける恐ろしい記憶が蘇ったのでしょうか。


前者を取るなら青澤緋紗子は事件の実行犯ではないということを暗に示していることになりますが、

青澤緋紗子自身が殺人教唆を仄めかしているんですよね。

殺人教唆は虚言で、自身に起きた悲劇が、自分自身によって引き起こされたものだと誇示していたとも考えられますが・・・。


そのあたりは、本当に分からない。

読めば読むほど違う解釈ができてしまって、私自身まだまだ整理がついていません。


赤いミニカーも、坊っちゃんが拾ったものを青澤緋紗子が引き取り、何気なく転がしておいたのだと考えています。

ただし、青澤緋紗子が一家からの開放を願っているのであれば、邪魔となる要因は無くしておきたいと思うのが普通です。


これも推測ですが、青澤緋紗子はゲーム感覚でミニカーを置いたのではないでしょうか。

誰かが躓いて毒入りの酒が溢れるかもしれない、そんな賭けを密かにしていたんですかね。

坊っちゃんはおもちゃを大事に扱うとされていることから、坊っちゃん自身が置いたとは考えにくいです。


キミさんが取った不審な電話を掛けたのは、教会の子どもかな・・・。

ただ、電話を掛けている時に青澤緋紗子と青年は隣にいないので、なぜ事件の最中に電話を掛けることができたのか疑問が残ります。

電話を掛けるよう指示をしたのは青澤緋紗子でしょうが、正確な日時まで指定することができたのでしょうか。

青年にアプローチをしていた冴えない娘が掛けたという可能性は・・・これはないかな。


雑賀満喜子の死について


雑賀満喜子の死、めちゃめちゃ不自然ですよね。

公園で熱中症って、いかにも自然死のように見えますが、本当にそうでしょうか。

ラムネ瓶が見当たらないこと、亡くなる前に親子連れと話していたという目撃証言は何を指すのでしょう。


青澤緋紗子について考えていたせいで、穿った考え方しかできなくなっている・・・。


また雑賀満喜子は小説冒頭と最後に登場しますが、このあたりの時系列がなんだかよく分からないんです。

小説の冒頭は、順二から遺書を貰った「私」との対話だと思われます。

最後は事件当時に捜査をしていた女性警官と出会った直後の様子です。

冒頭で、女性警官に偶然出会ったことを語っているので、時系列としては必然的に最後→冒頭となりますよね。

ですが、冒頭では青澤緋紗子の語った青い部屋が、成巽閣の群青の間だと説明しています。

女性警官から話を聞いて、青い部屋が祈りの部屋だとすぐに気付いていたのに。

青い部屋について、「私」に対して敢えて嘘をついているような素振りでもない。

あれ?なんか変だぞ?


また、女性警官と別れ、青い部屋について考えている時の雑賀満喜子は、意識が朦朧としていて、いかにも熱中症っぽい。

それなのに「私」と会話しているときはピンピンしてますからね。うーん。


時系列の話はいったん置いて、雑賀満喜子の死について。

雑賀満喜子が死ぬ直前に会った親子連れは、ふくよかな中年女性とのことでしたので、青澤緋紗子ではないんですよね。きっと。

もちろん、「私」でもないでしょう。

観光客でもないとすると、ただの通行人だったのでしょうか。


ラムネについては飲んでいる描写がないので何とも言えませんが、毒が入っていた可能性も無いとはいえない。

瓶を回収したかどうかも分かっていませんからね。

ただし、検死をしていれば一発でバレそうだし、わざわざ毒殺することもないような。


考えれば考えるほど分からないことが増えていきますね。この後味の悪さが良い。

読んでいて感じたのが、「このまま読み進めていいのだろうか」という、漠然とした不安感でした。

暗い廊下を一人で突き進んでいるような。気味悪さ。

謎が全て明かされないところや、読中の胸騒ぎが絶妙な一冊でした。ぜひ。