正直読書

本のこと、日常のこと。司書の勉強中。

私が図書館で働くことになった理由③

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これらのつづきです。

後輩が出来て、風向きが変わった

3年目になり、奴のパワーハラスメントに慣れてきた頃、後輩が入ってきた。
後輩は女性で、2年後輩だが年齢は私と一緒。
気が強く、何となく良い印象を持てなかった。


新採用職員なので、当たり前だが仕事はできない。
そういう人間を、奴は容赦なく叩く。
奴の下で1年やってきた私は、仕事ができるようになっていたので、ターゲットが後輩に移ったようだった。


ターゲットでなくなった私に、奴は人が変わったように接した。
ミスをしても、優しくフォローしてくれる。
ご飯に誘ったり、お菓子を配ったりしてくれる。
正直気持ちは悪かったが、直接のストレスが無くなったので万々歳だった。


仕事も普通に教わるようになり、できることが増えた。
近くで見ていても、奴の仕事は正確で、合理的だった。
仕事に対する考え方に感銘を受けたこともあったし、取り組み方も参考になるものばかりだった。
上司からの評価が高いことも納得できた。


奴が垂れ流す後輩の愚痴を聞きながら、「大変ですねえ…」と適当な返答をし、奴がいないところで後輩のフォローをする。
これはこれで大変だが、良い位置を見つけたかなあ、と、そう思っていた。


睡眠時間は以前よりも取れるようになったし、通勤中も泣かなくなった。
この日々がいつまでも続けば良いと思っていたが、半年程で終焉を迎える。

後輩が自立し、また風向きが変わる

思っていたよりも早く、半年程で後輩が一人前になった。
奴の妨害に負けず、堂々と仕事ができるようになったのには素直に感心した。


そうなってくると、また風向きが変わってくる。
後輩を虐めることができなくなり、ターゲットがまた私に戻ってきたのだ。
さらに、何故か後輩もパワーハラスメントに加担してくるようになった。


奴と後輩が結託して、仕事は完全に2人で回している。
奴から「一緒にやろうね」と言われていた仕事もいつの間にか後輩に奪われている。


後輩は何だか私を見下しているような態度だったし、奴は完全に口を聞いてくれなくなった。
奴に用事があるときは後輩を通す必要があり、私の仕事は日に日に無くなっていった。


体は重く、鉛が内臓いっぱいに溜まってしまったようだった。
何も食べていないのに、何故か口の中が苦く感じた。

メンタルクリニックを予約するも…

体調が悪化したため、家族が半強制的にメンタルクリニックを予約してくれた。
不思議なことに、どんなに体調が悪くなっても、メンタルクリニックを受診するという選択肢は、自分では出てこなかったのだ。


その頃には仕事を辞めたいという気持ちが固まっていたので、メンタルクリニックを受診する当日、管理職の男性に電話をした。


今の環境で仕事はできません。この状況が続くようなら辞めます。今日はメンタルクリニックを受診するので欠席させていただきます。


とりあえず状況は分かった、という返答を貰い、電話が切れた。
初めて状況を理解してくれる人が現れたのかと思い、体の中の鉛が少し小さくなるような気がした。



受診の時間が近付き、ふと携帯を見ると、大量の不在着信の履歴があった。
管理職の男性からだった。
すぐに折り返すと、焦ったような声が聞こえた。
メンタルクリニックは受診するな。今から職場へ来い。
要約すると、そんな内容だった。


受診をすすめる家族に謝りながら、メンタルクリニックにキャンセルの連絡を入れた。
今思えば、この時の私は判断力が鈍っていたのだ。


職場の面接室へ通されると、管理職と上長が待っていた。
朝俺に話したこと、もう一度話せるか?
ラクラする頭を抑えながら、なんとか話したものの、返ってきたのは、上長の「俺に任せろ、何とかする」という何の保証もない言葉だった。


「分かりました」という返答以外は受け付けない空気のなかで、私が発することができた言葉は1つしかなかった。

私が図書館で働くことになった理由②

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この記事の続きになります。
パワーハラスメントの内容多めになりますので、ご注意ください。

配置換えですべてが変わった

少し変わった指導員に慣れてきた2年目。
配置換えがあり、これまでとは少し違う業務を担当することになった。
そこで出会ったのが「奴」だった。


奴というのは、2年にわたって私にパワーハラスメントをした張本人である。
30代前半の女性で、某元女子プロレスラーに似ているのだが、名前も出したくないので、奴という呼称を使うことにする。


奴は、様々な面で有名な人物だった。
仕事ができる。顔が広い。気が強い。人によって態度を使い分ける。
これからよろしくお願いしますと言った私に向かって、奴はこういった。
「私に嫌われたら、仕事できなくなるからね」

案の定うまくいかない

やはり、うまくいかなかった。
奴は仕事ができない人間が嫌いなのだ。そして、自分より歳下の女性が嫌いなのだ。
私はどちらも当てはまっていた。


同じ部署とはいえ、1年目に佐藤の元で取り組んでいた業務とは全く違う。
1から仕事を覚え直す必要があったのと、佐藤から教わっていないルールが多かったため、非常に苦労した。


分からないことを奴に質問しても、逆ギレされて教えてもらえない。
それなのに他の人に質問するとイライラしている。
結局、奴がトイレ休憩等で席を外している間に、他の人にこっそり聞くしかなかった。


同じ担当には、私と奴の他に女性が1名と男性が2名。
女性は産休に入ってしまい、この状況を知らない。
男性は2人とも管理職で、奴のことで私が悩んでいるとは思っていなかったようだ。


奴のミスを私のせいだと押し付けられたこともある。
決裁を回すときも、私のものだけ通されない。
配置換えから2ヶ月ほど経ってから、今私はパワーハラスメントを受けているのではないか、と思うようになった。

体調を崩し始める

体と心は繋がっている。
これまであまり気にしたことはなかったが、パワーハラスメントを受けてから、よく分かるようになった。


今思えば、初めに異変が起こったのは、生理周期だった。
それまでぴったり1ヶ月で続いていて、生理予定日当日に始まっていたのに、予定日を過ぎても生理がこない。
予定日から1週間後、2週間後、とだんだん周期が崩れ、1ヶ月半〜3ヶ月に1回の不定期なものになっていったが、それでも生理は来ていたので、あまり気にしていなかった。


パワーハラスメントを受けている、と実感し始めてから、通勤が辛いものになっていた。


通勤電車を見ると、涙が自然と出てくるようになった。
何か嫌なことを思い出したり、考えたりしているのではない。
心はフラットで、さざめいている訳ではないのに、自然と泣いてしまう。
その涙に動揺して、気持ちが落ち込む。


出勤前に更衣室で涙を拭いてから職場に向かうのだが、あまりにも涙が引かないときはトイレに籠もった。
長時間トイレを占領していると、ノックされてしまう。
そのノックの音がとても怖かった。

パンフレット事件

どういう選考基準だったのかわからないが、職員募集用のパンフレットに私の写真や言葉が掲載されることになった。
どんな仕事をしているのか、職場はどんな雰囲気か、などをインタビュー形式で撮影するものだった。
辛い事が多かったが、パンフレットに載るのは素直に嬉しい。
撮影を心待ちにしている自分がいた。


撮影当日、いつもは泣きながら乗る電車に泣かずに乗れた。
いつもより綺麗な服を着て、化粧もバッチリして、撮影に臨むところだった。


ところが、撮影直前、ちょっとしたミスをしてしまった。
奴に嘲笑された途端、外見を整えた自分が情けなくなってしまった。
撮影に行ってきます、と早めに職場を出て、トイレに籠もって泣いた。
化粧は落ち、汗で服もシワシワ。
その後のインタビューでは、事前に考えてきたセリフを一生懸命口にした。


出来上がったパンフレットには、引き攣った私の顔が大きく載っていたが、仕事に関するセリフは大きく削られていた。
残っていた数少ないセリフの1つは、「ミスをしても、先輩が優しくフォローしてくれます」だった。

私が図書館で働くことになった理由①


ラッキーなことに、少し前から図書館で働いている。
今年ももう少しということで、それまでの経緯を振り返っていこうと思う。


私が受けたパワーハラスメントについても触れるので、現在なにか辛い思いをしている人や、あまり元気がない人にはダメージになってしまうかもしれない。
それに、私の経験は少し特殊なので、これから図書館で働きたいと思っている人の参考にならないかもしれない。


この記事を書くのは、主に私の心の整理のためだ。
そして、何か新しいことを始める人へ、ささやかなエールとなれば良いと思っている。

そもそも私は何者か

私は地方自治体で働く、いわゆる地方公務員だ。
これまで身バレが怖くて都内付近のOLということにしていたが、まあ関東の地方自治体もたくさんあるし、この際明かしてしまおう。


入庁して配属された先は、子どものいる家庭へ支援を行う部署だった。
忙しい時期は月70時間の残業がついたこともあったが、それ以外は1日1時間ほど残業すれば帰れる、働きやすい部署といえる。
繁忙期でなければ、休みも取りやすい。
部署全体で50名近く所属する、大所帯だった。

変な先輩が指導員だった

私の働く自治体は、指導員制度というものがある。
入庁3,4年目の若手職員が、半年間新採用職員について仕事や社会人としての心構えなどを伝授するのだ。


私の指導員は、佐藤健を20センチ縮めてパンチを3発食らわせたような顔の男だった。
以下、佐藤と呼ぶ。


佐藤は地元で1番偏差値の高い高校に入学したが、本人曰く通学が面倒になったので1年で退学。
その後は適当に遊んで、大学に進学して、卒業後はオートレーサーとして活躍した時期もあるなど、公務員としては異色の経歴の持ち主だった。


佐藤の口癖は「俺の作業量は職員2人分」。
とにかく効率厨で、仕事の早さが自慢。
上司にも平気で口答えするなど、ちょっとしたトラブルメーカーでもあった。


佐藤の姿や、佐藤を見る周囲の目から学んだことはたくさんあったが、佐藤自身から何かを教わった記憶はない。
指導員になる前の研修を受講していなかったようで、「何を教えたら良いのか分かんないんだよね」と良く言われた。

先行き不安…

佐藤の機嫌が悪いときにたまたま質問をしてしまい、敢えて間違ったことを教えられたことがあった。
その知識で行った業務はすべてご破産になり、上司から大目玉を食らった。
「佐藤に教わったんです」の一言が言えない私は、どこか損な性格をしているのだろう。


周りの同期は指導員とご飯に行ったり、ちょっとしたおしゃべりをしたり、仲良くていいな…
そんな思いが積もった結果、「今日就業後に指導員とご飯を食べに行くんだ」という同期のちょっとした一言に泣いてしまったことがある。


もちろん、私以外のみんなが楽しくやっていたわけではないだろう。
だけど、仲の良い同期はみなうまくやっているように見えた。
こういう状況になると、視野が狭くなって、自分の思い込みに合致するようなものばかり見てしまうものだ。


今日は佐藤に怒られないだろうか、佐藤から教わったことは本当だろうか、
そんなことばかり考えていた1年目だった。