素敵なものを「寄せ集め」て…『夢見る帝国図書館』
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本がわれらを自由にする。明治に出来た日本初の図書館と戦後を生きた喜和子さん。ふたつの物語は平成でひとつに―(「BOOK」データベースより)<<
これ、本好きの心を擽りまくる秀逸タイトルだと思いませんか?
さらにあらすじも良いんです。
オシャレおばあちゃん・喜和子さんと小説家志望の記者が出会って、帝国図書館(国立国会図書館の前身)が主人公の小説を執筆して、謎多き喜和子さんの悲しき過去を垣間見て…。
ほら、絶対素敵な物語!って思うじゃないですか。
しかも脇役もいい味出してるんです。
藝大出身の女装男子に下ネタ大好きな元大学教授のおじいちゃん。おばあちゃんと対立する名古屋マダム的な娘と現代っ子な孫娘。
こんなに魅力的な素材を「寄せ集め」て良くならないわけないって思うじゃないですか…。
…………
そう、なんだか「寄せ集め」なんですよ。
良く言えば欲張りな小説です。
なんだかどれも中途半端になっちゃっているんですよね。
作中の小説『夢見る帝国図書館』は恐らく途中までしか執筆されていないし、
(主人公がちゃんと執筆しているシーンはないんだけど…)
喜和子さんの過去を辿るシーンも時間をかけている割にはモヤモヤで終わっちゃうんです。
いや、モヤモヤで終わってもいいんだけど、そもそも喜和子さんの半生ってそんなに珍しいものではないんじゃないかと。
戦時のドサクサに紛れて家族と離れ、親戚中をたらい回しにされるとか、それに嫌気がさして上京するとか。
ちょっと変わっているところと言えば、上京先で男性カップル(と思われる2人)に拾われるところですかね。
あ、ここ広がるのかなと思ったらそうでもなかったのも「あら…?」ポイントでした。
全てが解明されなくてもいいんだけど、それなら魅力的な謎として残しておいてほしかった。
「なんか多分こうなんだろうけどそこまで引っ張らなくても良かったのに」
という読後感になってしまったのは非常に残念であります。
あと、小説『夢見る帝国図書館』に物申したい。
後半はいいんだけど、本編と小説パートがあまりにも頻繁に交代するから、本編を集中して追えなくなっちゃったわよ。
あとね、ちょっと文体に癖があって気になっちゃったわよ。
例えば、これ
「ビブリオテーキ!」
(中略)
「言うなれば、文庫だな」
「文庫がその、」
「ビブリオテーキ」
(中略)
「二十八キロと言えば七里!」
「七里になるほどの蔵書!」
「それが全部収まるほどの文庫!」
「それを西洋語で」
「ビブリオテーキ」
とかこれ
明治三十三年三月(中略)東側ブロックを着工した。
東側ブロックは着工した。
東側ブロックの建設は進む。
東側ブロックは出来上がった。
東側ブロックはもう建っている。
東側ブロックしか建っていない。
東側ブロック。
(ここでページをめくる)
しか、ない。
キャッチーな文体にして取っ付きやすくしているのだろうけど、
これ1文で済むと思う。
こういう表現をもっと簡潔にして、小説『夢見る帝国図書館』の内容をもっと充実したものにしてほしかったよ。
嫌いじゃない。決して嫌いじゃないのだけど、突っ込みどころがいくつかあったので吐き出させてもらいました。
中島さんの小説はこれが初めてなので、もう少し読んで様子見ですかね〜。