正直読書

本のこと、日常のこと。司書の勉強中。

充たされないのは、一体誰?――『充たされざる者』

充たされざる者 (ハヤカワepi文庫)

充たされざる者 (ハヤカワepi文庫)

世界的ピアニストのライダーは、あるヨーロッパの町に降り立った。「木曜の夕べ」という催しで演奏する予定のようだが、日程や演目さえ彼には定かでない。ただ、演奏会は町の「危機」を乗り越えるための最後の望みのようで、一部市民の期待は限りなく高い。ライダーはそれとなく詳細を探るが、奇妙な相談をもちかける市民たちが次々と邪魔に入り…。実験的手法を駆使し、悪夢のような不条理を紡ぐブッカー賞作家の問題作。(「BOOK」データベースより)

正直な感想、いいですか?…なんじゃこりゃ??

ハヤカワepi文庫の全936ページ読みました。その後の訳者あとがきも残さず。
文庫本にしては非常にボリューミーだったので飼っているうさぎと大きさ比較してみましたが、特段何も起こりませんでした。いくら分厚い本といえ、体重約2キロのうさぎと同じくらい大きいかと言われれば全くですね。そんなことはどうでもいいんですよ。肝心なのはこの本の内容です。

正直な感想は、「なんじゃこりゃ」です。以上。

もう少し詳しく説明すると、朝起きて「なんか覚えてないけど変な夢見たな〜」っていう感覚と似ているんです。

皆さん、昨日見た夢覚えていますか?
私は結構覚えているんですね、仕事の夢も見ますし、最近見た中で一番楽しかったのはポカホンタスとピクニックをした夢でした。

それはそれで、
夢に出てくる自分って何故か焦ってません?
そしてなんであなたがそこに?
っていうのもあるあるじゃないですか?

それほど親しくもない知人が夢の中では重要人物だったり、リアルでは関わりのない人たちが集まって何かをしていたり。

あと、夢ではなく実生活であれ、ここって来たことあったっけ?となる現象。
「デジャヴ」「既視感」と呼ばれていますね。

これはストレスなんかが原因と言われているようですが、初めて来る場所も「夢でみたことあるような…」となったこと、1度くらいはあるんじゃないでしょうか。


この本は、まさにそういう感じなんです。

「木曜の夕べ」は確実に来るイベントなのに、何故かそれまでの予定がわからない。
市民の過度な期待に反して、一切「木曜の夕べ」の準備に時間を割くことができないという焦燥感。

この焦燥感が物語通じて横たわっています。

その上で、
「あれ、なんであなたがここに?」
「別の場所に来たはずが、さっきまでいた場所だった!」

こんなことが頻発するんです。やってられません。

市民がライダーに様々な相談をするんですが、それが本当にどうでもいいことだらけなんです。
そんなの自分でやれ!
と言いたいところですが、ライダーがそう口にする(考える)前に厄介事に巻き込まれてしまいます。

せっかく準備ができると思ったら次々と邪魔が…。読んでいるこちらがモヤモヤしてしまいます。

カズオ・イシグロの著書では以前『わたしを離さないで』を読みましたが、それとは全く違いますね。
一番違うのは、語り手が物事を掌握しているか否か、というところだと思います。

『わたしを離さないで』のキャシーは、自分の身の回りのことを全て理解した上で語ることを取捨選択している感じ。
ライダーは取捨選択の余地すらない。

そこが、この本のポイントというべきなんでしょうかね。

結局、充たされないのは読者なんじゃ?


もう少し身のある感想が書きたい…再読はいつになるやら。