正直読書

本のこと、日常のこと。司書の勉強中。

名作に挑戦!「Yの悲劇」

名作=面白い は成り立つのか?

お正月にサッと読もうと思い、図書館から借りた一冊。
当然三が日で終わるはずもなく、他の本も読みつつで読み終わるのに2週間かかってしまった。


海外ミステリーの躓きポイントである、妙に長い地理的描写はほとんどないし、登場人物の名前も比較的覚えやすい。
翻訳の文章も読みやすかった(私はハヤカワ文庫の翻訳に絶大な信頼を置いている)。




なのになかなか読み進められなかった。


私が馴染めなかったのは、探偵役のレーン氏である。(致命的…)


レーン氏は、もともと俳優業をしていた壮年の男性で、驚くべきことに耳が聞こえない。
なので、会話はすべて読唇術を駆使している。
(ちなみに、電話は召使いが代わりに応答している。)


性格が捻くれている探偵はそう珍しくないが、身体的なハンデを負っている者はなかなかいない。
何故なら、探偵は鋭い洞察力が必要だからだ。
深く相手を観察するには、五感が研ぎ澄まされていないとならない。
その1つが封印されているレーン氏が謎を解く様は見ものだと思ったのだが…。

焦らしの前半

物語は、惨劇の舞台となる富豪・ハッター家の亭主が死体として見つかるところから始まる。
舞台の景観や歴史が滔々と語られ、少々ゲンナリしてしまう小説も多いなか、このスタートはなかなかインパクトのあるものだと言える。
亭主の死から、次から次へと事件が起こるので、テンポも良い。


なのに、なぜか焦らされているような気がするのは、レーン氏の態度によるものだ。


手がかりが見つかると、訳知り顔で眺めるレーン氏。
そして、何も言わずに悲しい顔で去ってゆく。
私の頭の中は「???」が積み上がっていくばかりである。


多少的はずれな推察をしている警視や地方検事のほうが、まだ好感が持てる。
彼らの考えを口に出して教えてくれるからだ。


物語は全体を通して第三者目線で描かれており、登場人物の心情は、表情や仕草か、口に出された言葉しか伝わらない。


レーン氏は何かを掴んでいるはずなのに、悲しい顔をするだけで提示をしてくれない。
この態度には理由があって、謎解きをしてはじめて「そうだったのか!」となるのだが、「それならそうと早くいってよ〜」という気持ちにもなる。


謎が解けないうちは、焦らされ、置いてけぼりだ。
伏線と思われるような文章があるのに、解消されるどころかヒントさえ与えられず、少しめげそうになった。

モヤモヤが一気に開放された謎解き

これまで積み上がっていた不条理や謎が一気に片付いた、鮮やかな謎解きだった。
こんなにスッキリした謎解きは久し振りかもしれない。


謎が解けるとそれはそれで、これまでの過程はすべて必要だったのだと思えるし、ちょっとでも省いてしまっていれば、道理の通らないカラクリになるところだった。


これが伏線回収というものか。
この点に関しては、「素晴らしい」の一言。

レーン氏の判断は正しかったのか?

少しネタバレになるが、レーン氏は事件当初から犯人の見当がついていた。
犯人を積極的に公表しなかったのは、犯人の将来性に賭けてのことだったのだ。


対して、レーン氏の願いも虚しく、犯人は日を増すごとに凶悪になり、最悪の事態を引き起こす。


犯人の末路について、レーン氏は「想定外」としていたが、本当のところは分かっていたのだろうし、そうするようレーン氏が望んだのではないかとも思える。
だが、犯人が自己完結する形での幕引きで、本当に良かったのだろうか。


あくまでも現代の判断基準だが、罪が分かった時点でそれを正すべきだろう。
というか、動物を虐める奴に碌な奴はいないのだから(ネタバレ)、彼に将来性がないことは私にだって分かる。極刑だ極刑。


まあ、そんなことを言ってもしょうがなし、そういう不条理も含めて楽しむのが本作なのかなあ…。


舞台設定といい、読後感といい、何だか横溝正史金田一シリーズを彷彿とさせる作品だった。
総合して面白かったが、すぐにもう一回!とはならないのが本音。