正直読書

本のこと、日常のこと。司書の勉強中。

怪盗クイーンシリーズの感想が書けない

困った・・・

何作か怪盗クイーンを読み終えたのだが、感想文が書けない。
大好きな作品なのに、大好きな一文もいっぱいあるのに、なぜか文章にできない。由々しき事態だ。
今回はこの問題について考えていく。

どうして書けないのか

正直、怪盗クイーンを読んでいる最中、私の頭の中はグチャグチャだ。


「ワアカッコイイ」「キャアキャア」「え、ちょっと待って」「楽しい楽しい楽しい」「やばいもう一冊読み終える」「早い」「もったいないからもう一度この章読み直そう…」「楽しい楽しい楽しい」・・・


作品を読んでいて、今回はここが良い、とか、これを感想文の柱にしよう、と思うところはいくつもある。
しかし、物語に没頭するうちに忘れてしまうのだ。


それに、読み終えた後に文章にすると、何だかしっくりこない。
読書中に感じた熱量や興奮をどうやって伝えれば良いのだろう、と考えているうちに、だんだん気持ちが萎えてくる。


結局、感想文になり損ないの短文がいくつも生まれては、日の目を見ないまま埋もれていくのだった。

対策案:慣れる?

怪盗クイーンを読んでいる時、興奮しすぎて深く思考することができなくなっている。
ならば、何度も何度も繰り返し読んで、耐性をつけてみてはどうか。


我ながら良いアイデアだと思った。
いくら大好きな作品でも、3回目には落ち着いて読むことができるはずだ。
冷静に感想を綴ることができるだろう。


しかし、ここで思いとどまる。
感想文を書くためとはいえ、熱量を意図的に抑えて臨む読書にどんな意味があるのだろう。


思い入れのある作品を何度も読むことはあるだろうが、感想文を作るために繰り返し読むなんて、ナンセンスではないか。
これでは課題と変わらないのではないか。

行き詰まったので・・・

怪盗クイーンの感想文を書きたいだけなのに、話がそれてしまっている。
ここは賢人の考えを拝借、ということで、冬木糸一氏のインタビュー記事を引用してみる。


blog.hatenablog.com

3〜4年間、ブログのPVは1日12ぐらい。それでも続けられたのは、ただ、楽しかったから

率直な気持ちで書かれた「すげえ」には価値がある

以上の2つはそれぞれ記事の見出しなんですけど、「こうありたい」の一言に尽きる。
もうね、読書感想文の本質を突きまくっている。


正直、読書をしていて楽しい時は「すげえ」ってことしか頭に浮かばないし、それ以外の表現が嘘っぽく感じられる。
その正直な感覚を文章にしていく作業の積み重ねなのだろう。


ブログを初めてちょうど1年、最近は記事をアップすることにも慣れてきて、自分の書いた文章がどのような評価をされているのか気になることもある。
スターがついたり、Twitterにいいね!がつくと嬉しくなり、もっと欲しくて「良い感想文」を書こうとする自分がいる。


でも評価っていうのは副産物のようなもので、本当は自分がやりたいからやってるだけなんだよね。仕事じゃないし。
当たり前のように思えるけど、最近忘れがちだった気がする。


というわけで、今後も「正直な」読書感想文を楽しくやっていきたいとおもいまーす!