正直読書

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ただのパニックホラーではない「月の裏側」

月の裏側 (幻冬舎文庫)

月の裏側 (幻冬舎文庫)

  • 作者:恩田 陸
  • 発売日: 2002/08/01
  • メディア: 文庫

不思議なホラー

エイリアン映画とジャパニーズホラーが融合したような不思議な作品。
気付かない間に人間がエイリアン(のような何か)に取って代わられてしまう。
作中では「盗まれる」という表現がされている。
しかし、ただのパニックホラーではない。


町で何が起こっているのか、その仕組みはすぐに明らかになる。
謎を追う過程のハラハラ感も楽しいが、「何か」を意識した時・疑念に囚われた時の心理状況が詳細に描かれていて面白い。

恐怖への向き合い方がリアル

耐え難い恐怖に支配された時、人は「普段どおり」を求めるものらしい。
恐怖が差し迫っている今その時、くだらない話をしたり、関係のない思い出話を聞いたりと、登場人物たちはまったく脈略のない会話を続ける。


恐怖に立ち向かうのではなく、逃避する。
フィクションなのだから、いくらでも勇敢に描くことはできる。
本書がそうではないのは、「人間らしさ」を優先させた結果であろう。


その生々しい「人間らしさ」がかえって不気味に思えるのが、恩田陸の凄いところなのかなあと思う。

「多数派」への執着

町の人々の多くが「何か」に変わってしまっている。
そうなると、残った正常な人間たちが少数派だ。
「何か」が一斉に攻撃してくるかもしれない、取り囲まれてしまうかもしれない、というように、少数派にとって、多数派は脅威の対象となりやすい。


しかし、ここで少数派の人間が抱いた感情は、恐怖だけではない。
ある種の疎外感であった。


何者かに支配されたい、大きな力のもとに帰依したい、そういう憧れのような感情を抱く登場人物たちが1番ホラーだった。
彼らにとっては、得体の知れない「何か」になってしまうよりも、少数派でいる方が恐ろしいのだ。


実際に「盗まれた」人間は、「ようやく仲間になれた」という安堵に包まれていた。


自由でいて、でも束縛されていたい。
オリジナルの人間では、その矛盾した欲求を満たすことができない。
やがて「帰依」という選択肢を選ぶようになる。
その結果、人間たちは…というところで本書は終わり。

正直な感想

めちゃくちゃ怖いホラー展開を予期していたので、その方面ではちょっと足りなかった。
町の人が何か別のものに変貌している…かもしれない…というところにもっと膨らみが欲しい。個人的には。


謎が明らかになってしまってからは、それをどう受け取るか、という人物描写がメインだったが、それはそれで面白かった。
特に、マイノリティとマジョリティの考え方には驚いた。
そんな発想があるのか、とちょっとびっくり。


私はロマンのかけらもない人間なので、正直叙情的な描写は得意ではない。
田舎の風景の切り取り方は美しいと思ったが、それよりももっと、こう、ミステリーをちょうだい…