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平成1ケタ生まれ、おいぬ、「82年生まれ、キム・ジヨン」を読む

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

はじめに

訳者である斎藤真理子氏が本作を的確に表しているので、まずはその部分を紹介する。

一冊まるごと問題提起の書である。カルテではあるが、処方箋はない。

キム・ジヨンの視点から、女性が受ける差別について語るというのが主な内容である。
差別について戸惑ったり怒りを感じたりする心情が吐露されるものの、「差別は絶対にダメ」とか、「ジェンダーについて考えよう」というメッセージや結論づけはされない。
何となく女性が読む本という印象があるが、ぜひ色々な人に読んでもらいたい。
ジェンダー論だけでなく、一般的な対人関係を考えさせられる内容になっているので。

「ほどほど」というリアリティ

キム・ジヨンには優しい夫と娘がいて、親しい友人がいる。家族との仲も良好である。
順風満帆な人生とは言えないものの、「どん底」でもない。
「ほどほど」の人生を歩んでいる女性だ。


キム・ジヨンの親世代は、女性が学習する機会がほとんど与えられておらず、男兄弟の方があらゆる面において優遇されていた。
キム・ジヨンの母親は、手先が器用で、商売も上手かったため、一家を支える大黒柱となった。
父親よりもよっぽど頼れる存在だったが、女性であることから、「お母さん」という枠組みの中でしか生きることができなかった。
キム・ジヨンのような「ほどほどの人生」は、親世代の女性が最も求めていたものの1つだろう。


母親の話はインパクト抜群で面白いが、キム・ジヨンを主人公にしたのは、内容にリアリティを持たせ、読者に身近なテーマだということを伝えるためだろう。


キム・ジヨンの受けた差別やセクハラというのも、「これくらいあるかもな〜…」という絶妙なラインのものが多かった。
新入社員の女性が朝一番に出勤し、全員の飲み物を入れたり、新聞の切り抜きを用意したり、職場の飲み会では男性役員の横に座るよう促される。
その場で抗議できずに泣き寝入りしてしまう…というモヤモヤした感じがよく分かる。

本書で取り上げられているのは、劇的な何かではなく、日常生活の中に潜んでいる、ちょっとした引っかかりなのだ。

「属性」で人間を語ってはいけないよね

ジェンダーに限ったことではないが、年齢や住んでいる地域、経歴、パートナーの有無等、その人の持つ「属性」によって、人間性みたいなものを定義されることが往々にしてある。
特に社会人になってから感じたことだが、自分と異なる考えや価値観を持つ存在に対して、軽いジャブを打つような感覚で属性を語る人は多い。


「今の新入社員はみんな平成生まれで…」(大体そうだお)とか「俺は昭和の男だから…」という会話には「平成生まれの考えていることは甘い」みたいなニュアンスが含まれている。
パートナーのいない男性には、「使うアテが無いんだからご飯奢ってよ」みたいな言葉が投げかけられている。
これじゃあ私の職場が殺伐としているみたいじゃないですか!やだ〜


いずれも、「平成生まれはみな思慮深くない」「パートナーがいない人は他に楽しみがない」というような非常に偏った価値観に基づく言葉だ。


(「属性」という言葉が合っているのか微妙なところだが、)
その人の持っている属性だけで人物を判断し、その属性へのイメージに基づいて接するのは、楽して会話することができる裏技のようなものだと思う。
その人のことを分かっているような気持ちになるし、会話に齟齬が出るわけでもない。


ただし、この方法を使っていては、一生掛かっても相手を理解することはできない。
その人ではなく、属性と会話をしているようなものだから。
どんな部活をして、どこの学校を出て、何の仕事をしていて、というのは、その人の通ってきた道を指しているに過ぎない。
真に相手を理解するには、どうして・どうやってその道を選んだのか、という会話が必要になる。


何を言いたいのかというと、想像力を持とうぜ。
ジェンダーにも当てはまるし、人種や信条等、「人と人とを隔てるとされているもの」に関する問題すべてに言えるものなんじゃないかなあと。
本当は想像力にプラスして、正しい知識があるとより良いと思うが、正しい知識を会得するにはそれなりの時間や労力が必要だし、知識がない人が行動できなくなってしまうので、必ずしも必要なものだとは思わない。


隣に座らされて、性別や社会経験の無さを理由に貶されながら飲む酒が美味しいと思うか?
人間の優劣はパートナーの有無のみで決まるのか?
今自分が発した言葉を、そのまま自分の家族や友人に伝えることができるか?


こうした問いがお互いにあれば、傷つかずに済むのになあ。(遠い目)
当たり前のことを改めて考えさせられる、そういう本だった。

キム・ジヨンが母親や友人に憑依するのは、ある「属性」に沿った人格を求められることへのアンチテーゼなのかと思ったり。思わなかったり。